ナイスな朝、良い陽気

ワイルド コンビネーション:アーサーラッセルの肖像 (日本語字幕付き / ポスト・カード封入) [DVD]
・ワイルド コンビネーション/アーサーラッセルの肖像 、やっとみた。アーサー・ラッセル、好きなアーティスト、いや一番好きなアーティストかもしれない。音楽に対する姿勢に尊敬を覚えるというか、羨望ですらある。本人はだしたい音をだし、演奏したい音楽を演奏していただけだとは思う。フィリップ・グラスからアレン・ギンズバーク、ジョナサン・リッチマからラリー・レヴァンまで。名作Lets Go swminng如く飄々とし自然に行き来することは容易ではない。アイオワからニューヨークまででてきた彼はまさに水を得た魚といったところ。『アーサー・ラッセル-ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』の野田努さんの文章、何度も引用していると思うけれど、再度引用しておく。「虚無的もしくは攻撃的なもの以外の全てを肯定した」という音楽家アーサー・ラッセル師である。これ以上は書かないでおく。DVDのことを全然書いていなかったが、前記の本を読んでいたので目新しいことはなかったが、アーサーの両親が出演していて彼のことを語っているに際して親の愛をなんだかすごく感じたのが印象的。それに彼の出身地であるアイオワ州オスカルーサの、だだっ広いトウモロコシ畑の映像をバックにアーサー・ラッセルのエコーがかかった声がかかるんだけれど、とぉおおいところなんだなと印象的だった。忘れかけてた頃になにか意識させられるアーサー・ラッセルである。あと先日なくなったホルガー・シューカイ(合掌)。この2人、同じようになれないのは勿論承知であるが音楽に対する時の自分の礎であり鏡であり続ける。
・先日はヨーガの師であるところのAiせんせいの旦那さんKeebo師に誘われ、サルサパーティーへ。サルサパーティー初めていったんだけれども、ペアで踊るということが新鮮で新鮮で。楽しそうに男女ペアになって踊っているのをみているとこちらまで、自然とからだがゆれるよね。チャリで2、3分の場所だったけれど異世界かと思った。あの風景忘れんだろうな。そしておれもステップふめたらな!と思った。その後Keebo師と来ていた人達数人で近所の居酒屋にいってサルサ談義をしていただいたんだけれどこれが面白かった。サルサって移民達がラテンミュージックをニューヨークに持ち込んで他の音楽と結びついてできた音楽のことをいうそう。やはり混血文化なんだ。ダンスのこと等教えてもらい、良い感じに酔っぱらっていたのであまり覚えていないところもあるけれど、グッドパーリーで心の洗濯。
・最近、相倉久人の『ジャズ著作大全』を勢いよく再読している。勢いは大事だ。1度目より遥かに面白い。楽器を演奏出来ない自分はジャズを書くことによってジャズそのものになろうとした、と本人も書いているが、文章が闘っている。ジャズしている。これを読み直そうと思ったきっかけが大谷能生平岡正明論』なんだけれども、(勿論この2人は繋がりあり)そこに出てくる、「即興演奏中のジャズマンの思惟構造を、その演奏によって感動させられている自己分析を手がかかりに、同時並行的に把握すうことをジャズの批評行為と呼ぶ」ような文章だ。おれなんかはこの文章ですらよくわからんのだけれど、、、それはきっとおれがこのような聴感覚、文章感覚に言語感覚をもちあわせていないからだ。それでも読めるのは文章がジャズしているからだ。おれ程度なんかはジャズなんて理解しようとするものではなく感じるもの、だと思う。それと同じ。音楽・批評・思想、おれは批評なんてだいそれたこと絶対やめておこうと思うような、氣のこもった言葉に文章達。金言多数。最後に上巻の萩原健太のまえがきをこれまた再度にはなるが引用しておく、「音楽を熱く語る。論ずる。そのこと自体もまた音楽だった。」やはりやめておこう。下巻の菊地成孔の前書きもめちゃくちゃ面白い。平岡正明のジャズ関連本2冊絶妙なタイミングで出会えたので楽しみ。やはり必要な時に必要な出会いはやってくる、ような気がする。ん?今おれはジャズなのか?ジャズの器はとんでもなくでかいのはなんとなくわかる。

 前の記事に貼っていたチューリップが可愛く咲いくれたので、スペシャルな贈りものに思える。そしてスペシャルな気分にさせてくれている。どんな気持ちでもいい、花を見てシンプルになにかを感じられるくらいの感受性くらいはいつでも、いつまでも持っていられれば。そんな穏やかな朝、いい陽気。ナイスである。