過去とは現在とは未来とは



 連投、ようは休みである。しかも何も用事がない、1日通してジャージで転がって大丈夫。目覚めてすぐターンテーブルに向かったぜ。Nina SImone/NINA AT NEWPORT、Bil Evans trio/Waltz for Debby。Bil Evansちゃんと聴いていないもので、、、聴いていきます。起きてすぐすんなりからだに入ってくるこのアルバム達は、目覚めに飲む水のように美味である。しーん静まった深夜にナイスに響く。できなくなることも多いけれど、こういうのは昼夜逆転者の特権だと思っている。元来独りで過ごせる性質である。人との関わりなんかは極端に減るけれど、自分自身に向き合う時間が圧倒的に増える。昼間生活していた時は人との関わりでしなくてもいいような顔をしたり、いわないでいいようなことをいっていたりした気もするし、どこか地に足がついていなかったような気がしないでも無い。どちらも自身には変わりがないが夜生活に戻って思うところはある。湯浅学さんの文章を引用しておく。「夜の暗いベールの中で人は感覚をよりクリアにしていくことができるのです。闇は、白昼にあからさまにされたみせかけの姿を消し、そのものの本質の光を浮かび上がらせる作用を持っています。直感は鍛えられる、と申すべきかもしれません。」ただ昨日の朝朝日を浴びながらビール片手に隣のおばちゃん(おばあちゃん)と談笑したのはえらく気持ちがよかった。Sunny side of the street。太陽の光は生きるもの全てに必要なものである。温かくなったら朝日むかってチャリこごう。
 日の出前の時間が好きだと少し前に書いたが、その時間はやはりブルースである。朝を肯定的に捉えるか否か、、ということは何度も書いてきたがおれはよくブルースのお世話になる。無性にブルースが聴きたくなるのだ、カントリーブルースにソングスターの人達。おれにとって朝は1日の終わりでもあり始まりでもあるという2重の意味を持つ。で、その辺りの音源を発掘しているMisshippi Recordsというレーベルがあって、そこから出た『An Anthology of Aboriginal Country Music』がヤバい。(http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=21672)1曲目、2曲目にはとくにぶっとんだ。どこから降ってきていわからないような宇宙なオルガン?ブルースだし、おそらくデジュリドゥを使った大地のブルース。またあれだ、大いなるものブラフマンと自己に宿るアートマンの繋がりを感じることが出来る滋味な音楽である。これから始める休日終わりは何故か上手く眠れない。休みの次の日が一番しんどいのはどうしたものか。みんなそうか?
 
 今日の音楽達はずっと昔の音楽達で、しかし今日の中嶋さんのFacebookへの投稿には考えさせられた。引用させていただきます。

「昨今のメジャーなところは、最早 音楽に新しさを追求してきた 90年代までの 新しいジャンルへの音楽への使命感も切迫感も ましてや終末観もないし、変なジャンルへの固執もない。リズムとメロディの心地よさや ソフトならではの音像、以前までのジャンルのクロスオーバーやミクスチャーといった混ぜ合わせ感ではなく 溶け合うような「融合感」の方が強い気がします。
そもそも このご時世にレッドツェッペリンの革新性なんかを求めたら そら音楽なんか聴けませんし ハードルが高すぎます。

で、結局 そこから脱することが出来ず 時間が止まっているのは 「もはや あの頃は良かった」的老化であり 若い時分に 年の離れた おっさんに 加齢臭を感じた あの感じを 自分自身も繰り返してるだけになっちゃうから 耳を傾ける事は 大事だなと。古きを知ったなら新しきを聴かなきゃ そらもったいないだろう、と。
〜中略〜
2018年は ラジオ事情も変わった。
夕方から 野球漬けだった2017年までとは 違い、
TBSラジオが ナイター中継をやめて まさかのweekend shuffleを 平日毎日18-21時に持ってきてafter six junction なんて始めたもんだから 面白い特集から耳が離せなくなってしまうはめに。なもんで 21時までは 働いていても 耳が向いてるから 苦労なく作業してしまう始末。
東京的カルチャーと人脈で 苦手な人も居るかと思うが 情報としては かなり有意義な3時間。
映画か音楽に関心なければ まぁ、つまんないだろうけど。ちなみに今日の特集はj.dilla。
エンターテインメントは 受け手次第で 活力にもなれば 毒にもなる。表現者に もたれるんじゃなく 受ける側が目線の高さを合わせれば まつわる下世話は消されるはず。悪いとこ見つけるより、良い部分を抜き出す力をつけようとすべきであり、世間の冷めた評価ではなく現場の持つ 本来の熱量の方を感じようとしない限りは 本質は掴めない。
マスへの不信感はそこから生まれるから 見方を変えるべき。かなぁ、と。
それ故に ローカル、マイノリティ、狭義のコミュニティなんかで信頼をそこにしか置けなくなるのは 自分の居心地を真ん中に据えすぎているように見えてしまうから 返って微妙な気がします。ダメとは思わないが それでは 全くの他者に対しての 共通言語を持ち合わせないように見えちゃう。
こう言った流れ エンタメ、音楽だけに限らずすべてにおいて共通しているなぁ と、つくづく思う次第。」
 前の投稿でアーサー・ラッセルとホルガー・シューカイを取り上げたけれど、音楽の聴き方教わったのはheightsでレコ屋やっていた中嶋さん。たくさんたくさん色々なことについて話したけれど、要は“しょうもない偏見もたずに何でも聴いてみるべし”ということ。2018年の音楽どれだけ聴いただろうか、、、旧譜9割間違い無し。テレビに関してはNHKBS1と3と日曜美術館しか見ないおれはずいぶん浮世離れしている。Nina SimonにBill Evansアーサー・ラッセル、相倉久人平岡正明って。いつの時代の人間や。苦笑。相倉久人にも平岡正明にもお前は全然ジャズじゃねぇ、どこがPAST<FUTUREじゃって怒られる気がするわ。ま、お風呂浸かって(休みの日はお風呂に浸かって弛緩することをヨガとしている。)、クラシック倶楽部みてレコード聴いて、お雑煮食べて、レコード聴いて寝るとす。うーん、過去とは現在とは未来とは。