その 1

 台風ですね。なんか久しぶりじゃないですか台風。
 どうせ外に出られないなと思い、昨日レコードを何枚か購入。

 まずDRUMS OFF CHAOS & JENS-UWE BEYER/ST
 CANのドラマーであるJaki Liebezeitが参加というか主催?している、パーカッション・グループ。呪術的なパーカッションの上にのっかるサイケデリックシンセサイザー。アルバム通して何かの儀式の様。たまに無性に太鼓の音が聴きたくなります。なりません?
 
 CANのキーボード奏者イルミン・シュミットがこんな事をいっていました。(以下remix No.171CAN カン伝説より抜粋です)
 「私の出自は、和声学が発展しすぎて結局何も残らなくなってしまった西欧的な音楽の伝統にあって、立ち戻ってそれを検証しようと思えばできたわけだけど、当時はあまりそうしたことに興味を持てなくなっていた。そもそも和声構造はグルーヴに矛盾していたし、和声進行が複雑になればなるほどグルーヴを破壊してしまうものだったからね。(中略)単調音や非常に切り詰められた和声構造というのは、アフリカ音楽をはじめ、打楽器が重要な役割を果たす音楽に共通するものなんだ。(中略)ロマンティックな和声進行に頼っているロック音楽はどこか間違っているように聴こえるんだ。それこそレゲエがいかに美しいか、あるいはリー・ペリーの音楽がいかに正しいかということの証なんだけどね。というのも彼はこうしたことにとても自覚的だった。ダンバーとシェイクスピアはドラムとベースを再発見したといってもいい。彼らには、このドローン・サウンドがいちど成立したらずっと響き続けていなくてはならない空間に対しての信じ難いほど鋭敏な感覚があったんだ。」

 これ衝撃でした。何か解ったような気がしました。なぜ白人がこれほどまでにドローンやミニマルミュージックをつくるのか。
 そもそも打楽器というのは最も原始的な楽器であるという事は明らかです。そこに西洋音楽にみられるような転調・複雑な和声構造はありえなかったもの。だから反復するしかなかった。そこに何かを伝達するためや、祈りなんかのために言葉、うたがのせられた。逆もしかり。それらをより高めるために打楽器が演奏された。そうして音楽になった。あくまでの仮説に過ぎませんが、間違いではないはず。それをどんどん発展させたのが西洋音楽
 CANのメンバーはそこにとても意識的になって、自分達の出自である西洋的な音楽の要素を排除しようとした。これはCANだけではなく、反復音楽をつくる人達が意識的、無意識に関わらずやろうとしている事ではないか、という一つの答えだなと思ったのです。これがどんどん発展したらミニマルテクノなんかになるわけであって。このDRUMS OFF CHAOS & JENS-UWE BEYERもまさしくそう。そしてJaki Liebezeitのドラムの核もここにある。
 やはり太鼓なんですね。全ては太鼓から生まれるんです。いろんな所に連れていかれた奴隷達が、故郷を思い出すため、自分達の誇りを一瞬でも取り戻すために太鼓を叩いた。それがどんなに禁止されようとアンダーグラウンドで連綿と受け繋がれて行った結果、ニューオーリンンズという混血文化な場所でジャズが生まれ、ジャマイカに渡ったジャズはスカやレゲエになった。それから云々でCANみたいなグループが生まれる。そういう意味でCANは偉大。Jaki Liebezeitのドラムは偉大。でもそこには西洋的な視点があっての事。音楽においても白対黒の構造はいつもそう。
 
 太鼓の歴史とか調べたら絶対面白いでしょうね。そこには壮大なドラマがあるはず。
 理屈を久しぶりに書いたら疲れました。