アーサー・ラッセル 1

「虚無的もしくは攻撃的なもの以外はすべて肯定した」折衷主義者アーサー・ラッセル。
「アーサー・ラッセルーニューヨーク 音楽 その大いなる冒険」つう本を最近読みまして。大いなる感銘を受けた訳であります。
 以前から彼は別格かなと思っておりまして。彼の音楽に対する思想・姿勢を知って、成る程なあと思ったのであります。
 最初の引用の通り、彼の作品はいわゆる現代音楽的なものからフォーク、ディスコまで多岐に渡るようで。しかもそのどれもが型破りだという。そして録音という行為に対する執拗なこだわり。以前も書きましたが作品を「完成」させる事がなかなかできなかったようで。答えなんてないんだけれど、その答えを探し求めてミックス、テープ編集をひたすらに繰り返したそうです。ウォークマンを手に入れてからは、自分の曲を録音したテープをいれてどこへ行くにも持ち歩いたそう。
 みたいなエピソードなんかがアーサー・ラッセルの関係者の証言から綴られています。そこから解る70年代〜80年代にかけてNYで音楽をするという事。
ラッセルはポータブル・テープレコーダー、もしくはその発売以降はソニーウォークマンを装着して分断された町並みを背景にアバやモンゴルの喉歌、その後にはグランドマスター・フラッシュといった、世界的な音の視野もって選ばれた曲のテープに耳を傾けた。知り合いにヘッドフォンを差し出す時、もしくは膨らんだポケットに詰め込まれた五線譜にアイディアを書き留める時、またはハドソン川にかかる日没を見る時以外には足を止めることがなかったラッセルは、スニーカーにダウンタウンを焼き付けた音楽的な遊牧民だった。」
 
 そんなアーサー・ラッセルから学べる事ってなんだろうなと思って彼の作品を集めては聴いているこの頃なんですが…。捉え所がないんですわ。そこが面白いのですが。
 彼みたく音楽に対して自由である事ってなかなか難しいんです。ちょっと解ってきたりすると、ジャンルに対する偏見みたいなものってでてきませんか?そこを通り過ぎると苦手な所より好きな所を見つけようとして、ひいてはそれを自分の中に取り入れたりできると思うのです。こういう事って頭では理解できてもなかなか難しいのですが、アーサー・ラッセルなんかは天然でやっている感じがありませんか。こういう純粋さというか偏見のなさって大きいんだと思います。本物の折衷主義者ってなかなかいないのでは?あとぱっと思いつくのがCANのホルガー・シューカイくらいかな。こういう人の作品は古びませんね。古くなりようがないというか。
 あと自信の固定のバンドを持つ事がなかったそうで。作品ごとにミュージシャンを選んでいたそう。そういうの横の繋がりっていうのは財産だったんでしょうね。その辺りが彼の多様性の一部だったのでしょう。音楽だけでなく、ミュージシャンの間を横断出来るっていうのもすごい事で。きちんと自分の周囲に根をはっていたんでしょう。
 その時代、その街で音楽を作るという事。そんな事は後から解る事なんでしょうが、考えてみるべきことなのかもしれないですね。
 もう一回読み終わったらまた書きたいです。

 雨ですね。今日購入したLEROY CARRのブルースが染みますよ。

 YYBYは鋭意録音中であります。

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アーサー・ラッセル ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険 (P‐Vine BOOKs)