問わず語りで

 何かを考えたりそれを基に何かを生み出したり。生産性を日々の暮らしの中に少しでも作るということ。当然一日1度や2度嫌なことはある。自分でもくだらねー、みたいなことでずっとイライラしたり負の感情に苛まれたりするのは仕方がない。そんな時、最初に書いたように過ごせればいいなとは思う。対処法としてはすごく自分の中で有効で。こうして文章を書くことでも音楽をすることでも、聴くことでも自分から能動的に動いてみると忘れるじゃないけれど、他のことに一回集中するとその事に対して冷静になれる。ぼーっとパソコンを眺めたりするのはとても楽ではあるけれど、何かが生まれたり得られたりすることってすごく稀だな。前向きな行為にはならないというか。どちらかというとじっとしていられない性分なので、本当に何もしていない時間って殆どない。その時間をどう過ごすか。前回の投稿から抜け殻みたいになっていることがよくあったので…えもいわれない感情になる季節ではあるけれど秋はいい。自分の心をどう持つか、物質的なことよりね。

 よく書くことだけれど好きになる音楽の周期みたいなものがあってこの時期はレゲエ憑きやすいな。最近またCDやレコードをよく買ったりするのだけど、笑っちゃうくらいもうルーツ・レゲエばかり。この音楽に付随するdubというサブジャンルから好きになったもので、余り聴いてこなかったから好きになれるものがたくさんある。思えば彼らのVoスタイルはアメリカのソウル、コーラスグループに端を発してるから好きなのは当然だな。ルーツ・レゲエ期になるとそこに強烈にラスタファリズムが入ってくるからすごく神聖な雰囲気を醸し出している。反社会メッセージがあっていかつくなったりするけれど、それっていうのはたくさんの形の祈りがあるということ。そのメッセージは解らないけれど(言語の問題)、解るか解らないではなくて解ろうとすることなのかも。その音楽の成り立ちを知っているかで否かっていうのもある。そういう意味でせっかくだから深い所で聴きたいが故に知りたい事がたくさん。音って瞬発力のあるもので、音それだけで反応出来るものだけれどその先が知りたくなる性分で面倒くさくもある。自分が正しいとは絶対にいわない、だけどその一歩で随分違うなとは思う。聴くだけでなく演奏する方でもそれはあるべきか。
 曲が良いっていうのは素晴らしいな。音が格好良いとか、どんな機材を使っているとかは一要素に過ぎず、貼っている曲なんか聴くとそういう細部のディテールなんかはどうでもよくなる。あるものを如何に工夫して使って何を込めるのか。ジャマイカのレゲエという音楽からはいつもそういう事を教えてもらう。一時期は音の説得力について書いてみたり、新しい機材買ったりしてここに書くことと矛盾したりはするけれど。それで良いんだと思う。物事は多面的に見れた方が解る事がたくさんある。独り言みたいの終わり。