おはようまだやろう

 おはようございます。眠れないので更新。
 まさか自分がブログ書く事になるとは思わなかったけど、書くことによって普段考えてることが吐き出されるというか、何かすっきりしていいもんですね。でも音楽のことくらいしか書く事ないです。どうなんですかねこれ?
 まあ今日も例によってなんですけどね。
 
 今日はゆらゆら帝国で『空洞です』〜ディスコです。
 
 『空洞です』を聴いてなかったら、もしかしたらヤーヤーやっていなかったかもっていうくらい今の自分に影響大なアルバムです。このアルバム聴くまでゆらゆら帝国にすごい苦手意識ありました。『空洞です』も最初ボーカル上月さんにすすめられて聴いてみたのですが、最初はピンと来ず。それでもしばらくの間何故だかむしょうに気になって、もう一度聴いてみたらどつぼにはまりました。一時期ずっと聴いていました。そしてこの時期の坂本さんへの雑誌のインタヴューからもめちゃくちゃ影響受けました。この時期のゆらゆら帝国が何を考えていたのか気になってしょうがなかったんです。
 このアルバムでそれまで僕が持っていた音楽への価値観が180℃変わりました。(それまでばりばりのロック少年、ギター少年でした。)以下は雑誌の記事をまとめた感じです。
 まず全然ロックじゃないんですね。ロック感というか、ロックによくあるヒーロー感が全然ないんですよね。メンバーからの楽器を演奏する上でのエゴが全く感じられません。自分はこんな音が出したい、こんなフレーズが弾きたいとかっていうのはない感じ、そうではなく曲のために自我を捨てて奉仕するといったらいいんでしょうか。あるコンセプトがあって、それ以外は絶対にやらない、やってはいけないという逆にいったらすごい制限がある中で作られているというか。だからすごい考えられた上で出している音・曲になっていると思います。
 だからアルバムにすごい統一感があります。これをバンドでやっているところがすごいと思います。
 こういう発想ってロックじゃなくて、クラブミュージックの方法論に近いと思うんです。音もすごくミニマル。だけどいわゆるクラブミュージックっていう感じでは全然ないですね。すごくメロウでポップ。これだけだったらハウスとかにもありそうなんですが、それともまた違う。上手くいえないんですがそれプラス、ゆらゆら帝国のメンバーが影響を受けたとよくいっているジャーマンロックっぽい音響感があるというか。どちらともつかない絶妙なラインで作られていると思います。
 坂本さんが「ロックバンドがクラブミュージックに色気を出したという風に簡単に捉えられるのが嫌だった。そこにはものすごく気をつかった。」とインタヴューで答えていましたが、先ほど書いたように絶妙なラインをいっていますね。やはりそのために相当考えられて作られたアルバムですね。
 あとこの世界観を構築している重要な要素として歌詞があげられます。よくいわれているように坂本さんの歌詞すごいですね。『空洞です』からさかのぼって聴いていったのですが唯一無二の歌詞、世界観ですね。言葉の表現力、ボキャブラリーが半端じゃない。びっくりするような歌詞がたくさんありますね。
 『空洞です』では全体を通して、音にも歌詞にも全く鋭さがないです。それでも「あえて抵抗しない」とか逆の意味ですごい尖っていると思います。大学の時にゼミの先生と話したのですが、この世界観は禅の世界に通じるものがあるそうです。この辺もうすこし勉強したかったです。
 一時期『空洞です』が自分の中でアルバムを買うときの基準になっていて、このアルバムに似たようなものはないかと探していたのですがなかなかありませんでした。去年坂本さんが『空洞です』を作る前に影響を受けたといっていたディスコや、ヤーヤーの写真を撮ってくれているバイト先の先輩である野田さんから教えてもらったノイや後期カン、マニュエル・ゲッチングのソロになってからのアシュラテンペルを去年から今年にかけて聴いていったら、なるほどなと納得しました。それでも『空洞です』は『空洞です』でしかありません。他とは違います。前にも書きましたが抽出のセンスですね。おもしろい。
 上手くまとまりませんでした。まだまだ自分の中で消化出来ていません。『空洞です』について議論してくれる方募集しています。
 

 ヤーヤーもちょっとクラブミュージックっぽいアプローチをしているのですが、まだまだ全然なってませんね。半端です。メンバー間の曲に対するイメージの共有が出来ていないというか、もっと曲を作る上での話し合いをしないとやはり中途半端になってしまいます。僕らはまだヤーヤーをやる上でのコンセプトがまだまだ弱いです。まあ、始めて1年やそこらでどうにかなる問題ではないと思いますが、その辺シビアにやっていかないとぬけられませんね。
 最近思うのですが可もなく不可もないのがいちばんだめですね。煮詰まってくると妥協してしまうというか、まあいいかとなることが多いです。自分たちでやっていて驚くくらいの事をしないと、第三者の目線からみたらきっと中途半端で終わっているのでしょうね。そのためには自分のスタイルはこうだとか、これが得意だからこれをやっているというのでは駄目な気がします。それを突き詰めればそれでもいいんでしょうが、僕達の場合はそうではない気がしているのですが、最近悩んでいるところです。
 そういう意味で僕はたくさん音楽を聴こうと思うのです。頭でっかちにはなりたくありません。色んなジャンルの音楽を聴く事によって確実に視野は広がるというか、一つの音楽に対して色々な視点から見られるようになります。何よりそうなると音楽を聴くのが楽しくなります。
 音楽を聴く姿勢というか聴き方には「プレイヤーの聴き方」ってあると思うんですよね。要するに楽器をやっている人の聴き方です。それって楽器をやっていない人とは確実に違うと思います。特定の音にだけ耳がいってしまうこととか僕はよくあります。楽器をやっていない人にもそういうことはあると思うのですが、それでも楽器をやっていない人の方がおそらくフラットな耳で聴けていると思うのです。何がいいたいかっていうと、僕は楽器をやっている人、音楽をやっている人にしか解らない音楽が好きではないということです。具体的にはなかなか思いうかばないし、人それぞれだし、一概にはいえませんがあると思うんですよね。そういう音楽。それはそれですごいことで、否定する気は全くないのですが僕は常にリスナー目線で音楽をやりたいと思っています。誰にでも解る音楽を目指しています。
 そういう意味では「踊れる」ということは強いです。踊れたら誰にでも楽しめます。これはもう言語なんか余裕で超えちゃってますね。その点、ディスコとかいいですよね。
 ディスコについても書こうと思ったのですがいい感じに眠たくなってきたので一回寝て書きます。
 
 てゆうか文章長いですね。かるくレポート書いているくらいな感じがします。でもいいんです。書いたらすっきりするから。思うこと、考えること、自分の中で整理したいことはたくさんあります。そのために書いているんだと思います。
空洞です