ギター論争

 今日はヤーヤーボールヤーにおけるギター不要論について書きたいと思います。
 この論争は今にはじまったことではなく、前々からありました。で、僕自身もヤーヤーにおけるギターの在り方にはかなり気を使ってきました。ヤーヤーをはじめた時点でいわゆるロック!っていう音にするのはやめようという話をしたような、暗黙の了解があったような、まあそういうコンセプトがあったわけです。ということで、今までも書いてきたように音の解釈で勝負してきたわけです。まあ簡単にいうとアイデア勝負のバンドということです。
 そこで1つの要素としてテクノやハウスといったような、いわゆるクラブミュージックを取り入れようとしてきたわけです。そういう音楽ってほとんどギターなっていないですよね。そういう音を取り入れようとするうえで、バンドというフォーマットのなかでのギターの入れ方に悩んでいるわけであります。
 ヤーヤーの編成はドラム、ベースがあってシンセ、ギター、サンプラーという3つの上音があります。核となるのは間違いなくドラム&ベースです。この2つははっきりいって、淡々と同じフレーズを繰り返しているだけです。そこで変化をつける役割となるのが上音となる3つの楽器です。その選択肢が多すぎるんですよ。全部一緒に鳴らしている場合が今のところ多いのですが、そうなると、どうしてもごちゃっとしてしまいます。けれど音はすっきりさせておいた方がいいと思うのです。
 僕達がポップでありえているのは上月氏のボーカルだと思うのです。(自分たちはポップだと思っているし、ポップでありたいと思っています。)そのボーカルを潰すようなことをしてはいけません。そんな中で上手いこと音を入れようと工夫しているのですが、なかなかです。どうしてもギターが邪魔になってくることが多いのです。上音がシンセの音だと、なんというかうるさく聞こえないというか、なんというか嫌味じゃないんですね。ギターを弾いちゃうとうるさいなと思うことが結構あります。というか単純にギターよりもシンセという選択肢をとった方が、それっぽいなと思うのです。出せる音的に。まあバンドでやっている以上、ギターもあっていいと思うので音の工夫、そしてなによりも、クラブミュージックを取り入れたバンドをやるうえでの自分なりのギタースタイルを確立させる必要があるなと思います。ゆらゆら帝国の坂本さんが「ロックバンドがクラブミュージックに色気を出したと、単純に思われるのは絶対に避けたかった」といっていましたが、僕もそう思います。そういう音って今1つのキーワードになっていますもんね。そんななかでいかに人と違うことができるか。それを模索している最中です。
 こんな風に思うのは僕がロック少年だったからだと思います。なかでもギターヒーローみたいな、ギタリストが全面にでるバンドが好きだったのです。その反動がここ数年きているのだと思います。
 
 そんなわけでジャーマンは参考になるかなと。今日はこの2枚。
 Faustで『Faust/So Far』1枚目と2枚目の2イン1ってやつです。Faustの方はコラージュです。音遊び。So Farの方はぐっとコラージュ色が減ってバンドサウンドが全面に出ています。1枚目を前に聴いたことがあってFaustしんどいかなと思ったのですが、こちらは余裕で聴けます。まあ、ふざけているところも多々あると思うのですが本気でふざけています。大事ですね。そういうの。なにかで読んだのですが、最近のライヴではテープノイズを延々と流して、メンバーは消化器をもって暴れまわっていたそうです。でも目はまったく笑っていなかったそう。成る程。なるほど。
 またまたクラフトワークで『人間解体』。78年の作品ですね。ここまでくるといわゆるクラフトワークスタイルが完成されています。スカスカのドラムマシーン、ベース音の上で鳴る哀愁あるシンセフレーズ、ボーカルがたまりません。前回も書きましたが彼らの音構造、とても素敵です。はまったかもしれません。彼らの音には普遍性があるように思う。
 さてメークマネー。
人間解体
Faust/So Far