『ブラック・サイエンス・フィクション』2

 引き続き『ブラック・サイエンス・フィクション』、『アフロ・フューチャリズム』について。最近ベスト盤がでたdrexiyaというユニット。彼らはUR一派で、90年代にURレーベルから作品を発表。メンバーの一人が亡くなって以降活動は停止しているそうです。彼らの作品はヨーロッパで非常に高い評価を受けたそうで、エイフェックスツインやアンドリュー・ウェザーオールなんかにも大きな影響を及ぼしたそうです。まあ彼らの経歴はこのくらいにして面白いなと思ったのが彼らのコンセプト。野田努著『ブラック・マシーン・ミュージック』より引用させてもらいます。
 「水中で呼吸することは人間にとって可能だろうか。母の子宮の胎児のように、水中の環境のなかでもそれはたしかに生きている。 世界が知る、もっとも大がかりな大虐殺、アメリカは過酷な労働によって病気になり狂気に走った奴隷たちを束ね、海に放り投げたのだ。空気を必要とせず、海のなかで生を営む赤ん坊の存在があり得るのだろうか。ドレクシヤンは人間の貪欲さによって変形させられた水中の犠牲者たちの子孫である。彼らはメキシコ湾からミシシッピー川を上り、そしてミシガン湖にたどり着いたのだろうか。これはひとつの終わりであり、もうひとつのはじまりである。」
 まさに神話のような世界です。そうして彼らは音楽を武器に人間、アメリカひいては世界に対する闘いを挑んだという物語だそうです。どうですか?まさしく『ブラック・サイエンス・フィクション』なコンセプト。ここでは紹介しませんがURやP-FUNKのコンセプトもかなり面白いです。本当にSF小説のよう。drexiyaのコンセプトからも解るようにブラック・サイエンス・フィクション、アフロ・フューチャリズムとは決して現実からの逃避ではなく、現実と向き合い生きていくためのものなんだろうなと思います。コンセプト通り、drexiyaには実際に水中を想起させる曲やタイトルが多くあります。

 こういう風に自分達の事をコンセプトだてて音楽を作るというのは面白いですね。ただただ曲を作って、演奏して、録音して終わりというのではなく。そこにどういう意味があるのか、その曲の必然性とは何か。そういうものがあるとないとでは大違い。かといって必ずしも必要なものではないのでしょうが、そういう事を考えさせられます。信念とか信じるものがあるというのは強いなと思います。
 最近、リロイ・ジョーンズという人の『ブルース・ピープルー白いアメリカ、黒い音楽』という本を読みはじめたのですが、ブラックミュージックの奥深い歴史が知れそうです。
 さて21時からYYBY練習です。そう、やり続けるのです。
ブルース・ピープル?白いアメリカ、黒い音楽 (平凡社ライブラリー)