独り言2

 蒸し暑い。湿気というまさしく湿った空気が、自分の全身にまとわりついて離れてくれない。そして部屋のエアコンはつくけど全く効いてくれないという代物。すごい雨で幾分かマシにはなったけれど、九州の方は大変だ。自分の欲しい情報がテレビには無く、もっぱらウィキペディアで、野球選手や球団の歴史について調べたり。日本のプロ野球もなんだかなという感じなので最近は朝からネットで大リーグの中継を観戦。実況の人と解説者が何を言っているのか全く解らないけれど面白い。ラジオ感覚で聴きながらいつの間にやら眠っているという。本当にすごい雨。どうしちゃったんだろ。
 「悲しみは全人類に平等に沸き起こるわけではない。喜びもまた不平等なものである。そもそも悲しみや喜びに平等感を持ちだすこと自体まちがっている。あたしがこんなに悲しんでいるのだからあんたも悲しみなさいよもっと、とか、人が悲しんでいるのになんであんたはそんなに幸福そうなのよ、とねたみそねみひがみ以外心に抱けなくなってしまう人は、しかし実はたくさんいる。やっかみなしに暮らそうとしてもやっかみを助長する事柄(情報)から逃れる方が難しいのが今の世の中ではある。嘆くなら笑え、という教訓を我々は古今の笑芸人から学んできた。
(中略)軽妙洒脱はあたりまえ、だが、文学的素養が歌に転写されるとき言語感覚には恥じらいが生じていた。それが昔の人の気骨の現れでももあっただろう。ジャズやってんだから硬いこというな、といい放てるほどの器量と技術を持つことはミュージシャン(芸人)にとって当然のことだった。それをあえていったり表沙汰にする野暮は最悪の行為だ。」
 湯浅学さんの『音楽を迎えにいく』より「ままならぬうき世をいじる無限大 吾妻光良とスウィンギン・バッパーズ」からです。その通りだと思うのです。是非そうしたいのですが。悲しいことなんて、人に話すなら、五倍も、十倍も、百倍も面白くして伝えないと。ね、そう思いませんか?そんなものは煮ても焼いても食えん。悲しいことを悲しいまま伝えてもブルースにはならん。そんな根性を持っているかどうか。ブルースは厳しくて、逞しい。寛容だ。そんなブルースマンにならなくては。今聴いているマイルス・デイビス達もそんなブルースマン達なのは疑いも無い事実なのであって。音だけではなく、そんな「姿勢」を学ぶ先達はたくさんいるのです。

 MILLES DAIVISで「SO WHAT」。SO WHAT=「だからなんだ」という意味。いやあ、ほんと「だからなんだ」といいたい。別に何がどうというわけではないのだからこそ、だからなんだという。湯浅学『音楽を迎えにいく』と先に出ていた姉妹編『音楽が降りてくる』面白いです。音楽を言葉にするという、なんとも難題を湯浅学さんは見事にやってのけていると思います。あと前にここで紹介した『How to Wreck a Nice Beach:The History of the Vocoder』の日本語翻訳版が出ていたので、そちらも即買い。ハードカバーの本て改めて本当に高いのね。レア盤一枚買える。こんな大盤振る舞いも図書カード一万円分!を頂いたおかげです。有り難うございます。有効活用しています。
音楽を迎えにゆく