『The Lost Tapes』


 本日は噂によると京都の街は五山の送り火、大文字だそうで。死者をあの世へ送り出すというこれまた最高にサイケデリックな夜に、僕はCANという最高のBGMを爆音で供給している次第なのであります。そう『The Lost Tapes』。相当編集には苦労した様ですが音源のクオリティはいわずもがな、CANなのであって。CANという希代の音楽集団のこのような音源を2012年に聴けるという幸せを噛み締めているのです。ジャズを少しかじって聴くCANの即興演奏の有効性はジャズのそれに近いなと思うのです。曲の解釈の圧倒的な広がり。グルーヴの解放。ここに到るには彼らの出自か。ロックというものに対して客観的な視点をこの時点ですでに持ち、それでもなおロックを演るという。ロックというかロックというものか。やはり発想がすでにニューウェーヴであって。CANを聴いてニューウェーヴは全部売却しましたね。なぁーんだと思ってしまったのです。なにより音に対してすごく寛容な姿勢が素晴らしい。これっていうのはなかなか難しいことなのですが、ここをクリアしている人っていうのはやはりすごい。アーサー・ラッセルしかりでリー・ペリーしかりなのです。
 そして圧倒的な説得力を持った音がそこにはあるのですが、彼らは何を考えて演奏していたんだろうみたいな事をもっと知りたいというか、頭の中を覗きたいというか、むしろあやかりたいというか…。みたいな想像を膨らませて聴くことができるのが楽しいのです。この季節に『FUTUREDAYS』は随分と涼しいでしょ。何年か前にも書いたけれど、今はなきremix誌が特集したCAN特集は必読なんだと思います。メンバーのインタヴューを読んでいると音楽への取り組み方が変わります。

 ちよも静観中。しかし日常とは反復なのであって普段とは違う事は嫌いというか、鬱陶しいのです。反復するなかで起こる微妙な変化を楽しむのが重要なのを教えてくれたのはBasic Channelだったのかな。そんな繰り返しのなかで死んでいくのがいいなと思うのです。もはや死んだ事にすら気がつかないみたいな。裏と表は繋がっていて、因果は応報だといいますが確かにそうだなと思います。だからこんな日は家で音に埋もれようと思うのです。