それだけ

 裸のラリーズというバンドが気になって聴いているのですが。すごく歪んだギターにエコーのかっかたこれまた歪んだ声。というか、音全体が歪んだ音の塊となってねじ曲がっているみたいな。音も切れ切れだったりする。これは痛快だ。良い音、悪い音なんてどうでもよくなる音。音質なんて自分の感覚でしかなくてそこに疑問を抱いているうちはまだまだなんです。はい。それはそれとして全身で受けとめる。それで駄目なら自分の未熟さを呪えと、裸のラリーズ湯浅学さんは教えてくれています。
 あと、覚悟のある音というのは痛快だな。これは以外と感じる事ができるのです。水谷孝という人の音楽は、そういう音。音楽に仕えているというか。一切の邪念がない。こういう人の出す音は美しいなと思う。

 何でもそうかなと最近よくよく思うのです。考える事も必要だろうけど、まず感じる。考えないという考えを持ちたいのです。そこから、何かをどうにかしようという望みを捨てる事。見返りを求めての行為というのはすごく浅ましい事に思えるのです。ただひたすらに受けとめ、感じる事に徹するようになりたい。