FUNK


 スポーツにおける明確な勝敗の規定がある競技などでない限り、「敗北」という裁定はあくまでも自分の中にある。そこの判断基準は世間様など関係無しで自分自身に依拠するべきなのである。当たり前や常識といわれるもの程恐ろしいものはない、と思うべき。すべては刷り込みによって形作られた概念・思想なのではないだろうか。たくさんの矛盾をはらむのは当然の事。その中から信じるにたるものを見極めること。善悪の判断基準はFUNKのあるなし。我々はプログラミングされてしまっている、それを行うプログラマーと闘い続けるのだ。という教えを乞うた。これらの考えが今すごく真実味を帯びてはいないか。この複雑怪奇な今こそ我々はFUNKを聴くべきだ。くだらないたくさんの事象から逃れ続けるために。
 FUNKには快楽と厳しさが内在する。FUNKが哲学足り得た理由を自分は想像するしかないが、それだけの許容する力を持っているのは疑いようがないと感じる。強靭なビートあるいはリズムというのは屈しないための武器だという。リズムを研磨するということはそういうことだったのではないか?果たしてメロディーやハーモニーにそういう力が有るか否か。