母との会話にて

 先日、両親が京都に来たのでお昼をご一緒したのです。母親の携帯がスマホになっていましたね。親が若い感じがするのはなんか嬉しい。あぁ、その席でねこのブログにあげている曲の話になったわけですよ。どこまで見てるのか解らないけれど、やたらベーチャン周辺をupしている感が自分でもある。でね、母親に聞かれたわけです、「あんたのupしてる曲はずーっと同じ音がなってるだけやねぇ。あれはなんていう音楽なん?あなたがやろうとしている音楽てどんなんなん?」いやあ、言葉につまりましたね。簡潔に説明するのに言葉に詰まりましたよ。母ごめん、長くなりそう。

 ANDREA CICHECKI/ISOMETRIC ILLUSIONS ま、こういうのか。例えばねずっと同じ言葉を繰り返して言ってみたり同じ文字をずっと書いていたりしたりしていると、元の言葉なり文字の本来の意味が解らなくなったり、これはこの文字であっているのか?みたいな感覚は誰でも持ったことがあると思います。繰り返すことで対象が持つ本来の意味が歪んで別の意味を帯びていく感覚というか。あとはずっと同じことをしていると無心になって時間の感覚が無くなっていったりしますよね。これが音楽にもおこるのです。ずーっと同じ音やリズムを聴いていると時間が失せていったっり、本来は鳴っていないはずの音がイメージの世界で鳴ったりする。そういう快感。
 一聴した感じストイックに聴こえたりつまらなかったりするけれど、そういう部分に価値観を見いだせるようになるとそこが快楽に成り得る瞬間があるわけ。よりその効果を有効にするためには反復する音やリズムの強度が必要になってくるわけです。反復していればなんでもいいのではなく、そこには瞬間で微細な音の変化や出入り、音色の好みが反映される。そういう部分を聴いているし自分でもやろうとしています。今現在ものすごく細分化しているけれど、大別したらミニマル・ミュージックていいます。みたいなことを書くとまだまだ全然できていないなと苦笑い。しかしこれ聴いても思うけれど、Basic channelやrhythm&soundて一つの完成系で、ジャマイカが生んで世界各国で花を咲かせたdubってこれ以降ていうのはどうなんだろうな。

 P.S 前も書いたけれど、メロディーや歌詞って具体的な感情やイメージを想起させることが容易だとは思うんですよ。でもその部分がなくても、音色やリズムの組み方でも上手くやればそういった部分を想起させることができるんですよ。抽象的な分、聴き手に委ねられる部分が多くなり得るという面白さもあります。聴き手の姿勢を問われる音でもあるかも。