湧いてきたもの

 聴いてきたものの変遷をたどってみると、今もあの頃もずーっと好きで聴いているバンドやアルバムってないんですよ。なにかきっかけになる人や作品と出会ったら、その周りをけっこう調べて一気にシフトチェンジしていくものだからそれ以前のものは全然聴かなくなる。で、興味がなくなったら次に行くための資金にするもんで、昔に聴いていた作品っていうのはほとんど残らない。高校生から20歳くらいまでのものなんてあるの何枚くらいかな。
 NWにDUBやHIPHOP的な価値観に21や22の頃に開眼してそれ以降の音を中心に聴くようになり、ロックを聴かなくなってもう長いこと経つんだ。今も周りにいて付き合いがある仲間達は、そんな音を嬉々として聴いていた時に話をしてくれた人達だなと思います。なんか良かった。
 なんでこんな事を書いているかというと、ルー・リードの訃報に接してロックなるもにセンチメンタルになりまして。こういうアンダーグラウンドなところからやってきて、そこで培った個性にアティチュードを持ち続けてやっているオルタナティヴなバンドや人にほとんど縁がなかったです。こういうところに傾倒できるのって二十歳前後だと思うのですが、そもそもが全然聴いていなかったんだなと振り返る。周りは好きな人多かったのに。そういうバンドの話になるとおいていかれます。今からでも聴けばいいけれど、それは19・20歳で持つ感覚とは多分もう別の感覚かな。

 レコ棚から引っぱり出して聴いています。死んでしまった時、多くの人がその人の事を思い触れる作品が残っているっていうのはすごいことだ。ルー・リードみたいな人だったらなおさらだろう。何かを表現するからにはそんな作品が残せたらいいですね。