踊りへの欲求



 DREXCIYA/BLACK SEAとDAN SHAKE/3AM Jazz Clubともにデトロイト産。DAN SHAKEはUKの人みたいだけれど、Mahogani Musicからで完全にMOODYMANN節のトラック。シンプルであることの大切さに強さ。この二つのトラックは教えてくれる。Roland TB&TRシリーズだと思われるリズム・シーケンスにシンプルで遊び心溢れる上音。そこにDREXCIYAはアフロ・フーチャリズムを持ち込み、このエレクトロサウンドに生命を与える。MOODYMANNとこのDAN SHAKEはね、MOODYMANNが作るデトロイトサウンドトラック、彼の暮らす地になる音をコーラジュして作り上げるファンクネスを継承。これはもう伝統芸でしょ。どちらも大衆的であるといことから決して離れない。その場所で暮らす人がこれは自分達の音楽だって誇れる音で、そういう音楽を作ることが前提としてある。
 最近のTECHNOやHOUSEってすごく精巧に作られていて、音質もハイクオリティ。だけどね、そういうことじゃないよな、この音楽はって思うこともあって。その曲が鳴る場所で機能させるっていうことを忘れたらだめだなと思うのです。手段が目的になってしまうことで無くしてしまうものがあったりする(伝わりにくかったらごめんなさい)。目指しているというよりかは好みの音像があって、そこに対する執着心から不自由になっているのでは?と自分自信に対して思うことがあって。何かに向けてというよりは自分への戒めっていうことです。DAN SHAKEを聴いた日にFRANKIE KNUCKLESの訃報があって、ダンス・ミュージックが存在し必要とされ続けるワケみたいなことを少し考えてみました。が、ダンス・ミュージックって思考するものじゃなくて、本質は聴いて踊らされて体感することだ。
 近頃は踊り狂いたい時がある。それを自分で実行するイベント「「World of Echo×Crypt」(https://www.facebook.com/events/619377474822730/