相倉久人ジャズ著作大全

 相倉久人ジャズ著作大全という本を読んでいて、ハードカバーで上下巻という結構なボリュームなんだがこれが面白い。前書きが上巻が萩原健太菊地成孔なんだけれど帯からして爆発している、「音楽を熱く語る。論ずる。そのこと自体もまた音楽だった。」萩原氏。「ダンスひとつ踊れない君たちに、相倉久人の再評価なんか出来ると思っているのかね?」どちらも痛快。帯買い。ジャズ。評論、いろんな方向性からできる、例えば歴史とか理論等々。そうではなくて作品を聴いた上で、そのアンサーというかそういうもう一つの作品を作っているなこれは、くらいの文章が好き。読み物として面白い。理解できるとか理解できないとか、そんなことは重要ではなくて「何か」でいいと思う、感じるものがあるかどうか。実際ジャズ聴く上でもそうだと思う。フリージャズなんて座って聴いていてもわかるはずなくて、立って踊って聴けという文章が出てくるんだけれど、すごく腑に落ちた。考えるな感じろ、みたいなことをブルース・リーがいっていたけれどまさしくそうで。MOODYMANN聴いてジャズ感じるのも当然。ジャズの懐はとんでもなく広い。自分にはこの程度の文章が限界だけれど、50年代からリアルタイムでジャズと真摯に向き合ってきた軌跡がここにはある。
 菊地成孔曰くこの本がジャズ村、ジャズ批評村、60年代書籍村から出る確率は98パーセント無いと書いており、なんとなく想像出来笑った。ジャズという神棚みたいなイメージ確かにあるなと。相倉さんもジャズを書くことによって、ジャズを解放したかったのではないかと思う。マイルスもいつのまにか演奏する側より、客席にいる奴の方が良い服きて聴きにくるようになったって嘆いていたけれど、いつの音楽史とってもこれだけ演奏している側がヤク中だらけだったこともないんじゃないか。そんな音楽をありがたがって聴いてどうする、道端の音楽だってことで自分に何ができるわけでもないのだけれど、最近ミンガス、チャールズ・ミンガスが好き。
相倉久人 ジャズ著作大全 / 上巻
相倉久人 ジャズ著作大全 / 下巻 言葉によるジャズ行為の爛熟章